イタリア旅行記 1 旅立ち

さて、出発は成田空港からである。まず、一旦フィンランドまで行き、そこから乗り継ぎでイタリアローマに向かうと言う航空券であった。
 飛行機に乗り込むと、隣に自分と同じ年齢くらいの若い女性が座った。もともと、僕は人見知りするタイプでもあったし、話すきっかけをずっと探していたのだけれどもなかなかそのタイミングが見つからなかった。
 これから10時間ほどのフライトの間、全く話さないというのもどこか居心地が悪いし、少し相手にも失礼な気がした。そこで、最初の機内食を食べ終わったときに、思い切って話しかけてみることした。
 「(旅行は)お一人ですか?」
話しかけると、ぱっと表情があかるくなり、気さくに会話に応じてくれた。
彼女は、僕の乗継ぎ地であるフィンランドに滞在するようで、かつてフィンランドに留学したときに知り合った留学生の家に1ヶ月ほど泊めてもらうのだという。フィンランド自体ぼくはあまり知らなかったので、興味深くきいていると、フィンランドは自然が多く、また人が温和で、優しい人が多いのだと言う。北欧諸国は福祉が充実していて、格差が少ないのでそういう国民性になっているのかもしれないなと思った。ぜひ、1度フィンランドに行ってみたいものだ。
 そのあと、地球の歩き方を読み、3回目のアナと雪の女王をみたり、うたた寝したりしているうちにフィンランドの空港についた。
 フィンランド空港の中は、木目を貴重としたデザインになっておりどこか北欧を感じさせる空間になっていた。


イタリア旅行記 旅立ちの前に

旅立ちの前に

 20歳の北海道バイク一周旅行(当ブログ旅行記参照)から、一人旅にはまって、海外旅行は一人で行くようになった。香港、マカオ、台湾、バンコクと言った街は、いまでは失われてしまった人の暖かさや、熱に触れることができたし、まだまだこれからも経済成長していこうとする希望を感じたものだ。

 しかし、それらはいずれも仏教の国であり、同じような文化圏であることから、異文化体験といってもどこかかつての日本の面影を感じる場所であった。
 そのため、いつか日本と全く異なる文化圏すなわち西欧キリスト教文化圏を1度旅してみたいと前々から考えていた。とすれば、キリスト教の文化が芽生えたヨーロッパのいずれかの国ということになる。そこで、検討するに、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ドイツなどは日本にもなじみがあるし、観光地化されていて旅行がしやすいのではないかと考えた。
 そして、西欧キリスト教ということであれば、やはりローマ教皇のお膝元のローマ、バチカンのあるイタリアではないか、ブログの旅行記をみても、その景色の美しさ、美術作品の多さ、なにより食べ物がおいしそうであり、身近な友人達の言葉を思い返してもイタリアを悪く言う人はいなかった、等々を考えると、初めての欧州旅行先はイタリアにすることにした。

 幸い、この年から職種も変わり、夏に長期の休みが取れるようになったので、ローマ(バチカン)、フィレンツェヴェネチア、ミラノ、ついでにドイツのフランフルトと豪勢に5つの都市を回ることにした。
 これだけの都市を回る、しかも、初めての欧州であるから、下調べには多くの時間を費やした。自分が旅をするときは、航空券、ホテルを全て自分で手配することが通常であるから、今回も全ての泊数分ホテルを予約することにした。
 また、一人旅であるから、食事する場所もある程度決めておかなければならない。都市間は電車で移動をするので、その予約もとらなくては行けない。一人で旅をするということは、旅の全ての責任とリスクを自分がとるということである。それは私にとって一種のスリルでもあり、また冒険心をくすぐる最も大きなレジャーなのである。

そうこうしているうちに出発の日は訪れた。
 

 ’05北海道バイク旅行 9日目 9月8日 その2 (最終回)

日が落ちて、だんだんと辺りが暗くなってくる。この旅の終わりを暗示するようだ。



もともと、この旅に行くことは、親から反対されていた。いままで、一人旅をしたこともなかったし、バイクでの長距離ツーリングも初めての経験だった。最初は無謀とおもえたことも、事前の下調べと好奇心でなんとか乗り切ってきた。旅の終わりの寂しさと、同時にある種の達成感も感じていた。

 いま、これを振り返っているのは、10年後の自分である。
 思えばあれが自分の旅に対するターニングポイントだったように思う。

それまでは、親が予約したホテルに、親のお金で、親の運転で行って、何となく行程をこなして帰ってきた。
しかし、今回は、自分が計画し、自分のお金で、自分の運転で、自分の好きなように旅ができた。それは、いままで親の価値感に合わせるばかりで主体的に生きるということをしなかった自分からの決別といういわば通過儀礼のようなものでもあったし、自分でもここまでできるんだという自信を得るきっかけにもなったのだと思う。

 今振り返っても、あの北海道の旅から一人旅というものにはまり、外国に一人で行くようにもなったし、あらかじめ決められた行程をめぐる「旅行」の他に、現地についてから自分の責任で好きなものを食べ、好きな場所に行く、という「旅」というオプションが人生に増えたように思う。
 また、旅が精神的な成長を促すものだということにきづいたきっかけにもなったし、今思えばその他にもこの旅行は僕に多くのものを与えてくれたように思う。

 ぼくが、その後フェリーに乗って実家のある京都に帰り、旅のあれこれについて興奮した様子で語ると親はぽかーんとした様子で「一人旅さみしくないん、危険はないん?」と行ったことばかりきいてくるのでさすがに閉口した。でも、親たちは一人旅をした者にしかわからない高揚感を知らないのだからそれも仕方がないのかもしれない。

 とにもかくにも、僕の旅の歴史の一歩でもあったし、精神的に大人になろうとする過程でその成長に大きな影響を及ぼした旅であった。

いまも思い起こせば、どこまでも続く一直線の道、見渡す限りの緑の絨毯、少し湿った草の匂いがよみがえってくる。これらの光景を僕は一生忘れないだろう。


最後まで、お読みいただいた方々ありがとうございました。

おわり


 ’05北海道バイク旅行 9日目 9月8日 その1

今日は最終日である。
朝起きると雨は小雨になっていた。

今日は、夜11時に、苫小牧のフェリー乗り場に向かわなければならない。

最終日にどこに向かうか。ガイドブックを見ると、泊まっているホテルの近くにイザムノグチ庭園美術館があるので、そこへ向かうことにした。
イサムノグチとは誰かも知らず、また美術館ということで、すぐ見終わってしまうかなと思っていたが、いざ着いてみるとそこは広大なスペースに彫刻やら、変わった形の建物が並んでいてなにやら不思議な庭園がひろがっていた。
 

ガラス張りのピラミッドの建物の中には、イサムノグチの人物の来歴や作品が展示されており、世界的なデザイナーであることを知る。この日は、小雨だったので建物のみ見学したが、もし今度訪れることがあれば、外の展示についてもじっくり見たいと思う。

さて、雨もしだいに上がってきたので、札幌市内までバイクで移動する。
そういえば、札幌まできてまだラーメンを食べていない。
最初は、有名店「純連」または「すみれ」に行こうと思ったが、なんとあいにくどちらも休業日。そこで、これまた有名な「らーめん五丈原http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1000281/dtlmap/ へ行く。

ここで、味噌ラーメンと、味付おにぎりをいただく。どちらも、濃厚で、自分好みの味で美味しかった。

さて、この後は、もう苫小牧へ向かう。

札幌から苫小牧に至るまでは、ずっと市街地を走ることになり、車の量も多い。北海道で何度も目にした牧場風景はもう見ることができなくなってしまった。

途中、ウトナイ湖のほとりになにやら人が集まっていたので、近づいてみるとアヒルが。

ヒルにいやされながら、湖のほとりでへたり込んで30分ほどボーっとしていた。

少し、疲れがいやされたので、再びバイクにまたがり、苫小牧へ向かう。日が落ちてきた。

 ’05北海道バイク旅行 9日目 9月7日 その1

 もうそろそろ、この北海道の旅も終盤を迎える。今日は、本来であれば、この旅の最終日であり、苫小牧からフェリーで京都に帰るはずであった。しかし、この日の朝にフェリー会社から連絡があり、台風の影響で、フェリーが本日欠航になった、よって帰りの便は明日に振り返られるとのこと。予想外であったが、あと一日旅がのびたわけだ。旅が終わるのはいつも寂しい。出発する前の準備期間の高揚感からすれば、旅の終わりはいつも哀愁に包まれる。そして、それは、非日常生活から日常へ戻ることであるからだ。

一日帰りが伸びたのはいいが、当然のことながら外は雨。ここからは、電車と歩きで移動だ。まずは、当時はやりだしていたスープカレーのお店に。初めての体験だったが、こんなものかなというのが率直な感想であった。具が大きくて、スパイシーで、でもやはり日頃食べ慣れているカレーライスとは別物だなという印象だった。
 

その後、スープカレー屋の近くの北海道大学に。その日は、休講日だからか、人っ子ひとりいない。
雨に濡れる校舎をみてまわり、展示室となっている古い木造の納屋のようなところも見たがやはりだれもいない。

そんなこんなで、外の天気も悪いし、屋内に入ろうと思い、JR駅に向かう。

こういうことをいうと、勘違いと言われるかもしれないが、どうも道行く女性に綺麗な人が多い。みな全体的に肌が白くて、スタイルも良い、という点でいままで訪れたどの都市よりも、またその後訪れたどの都市よりもレベルが高い。もっといえば、バスにのっているおばあちゃんでさえも、色が白いせいか、より上品に見えた。ロシアが近いことと何か関係があるのだろうか。もし、定住するなら北海道にしたいと思う。

昨日のジンギスカンが忘れられず、本日もまた違うジンギスカンのお店でジンギスカンを堪能し、早めに眠りにつく。
明日は最終日だ。

 ’05北海道バイク旅行 8日目 9月6日 その2

新冠を後にして、次は札幌に向かう。

ここで、事件が起こる。ここまで毎朝早起きして休みなく運転していたことから、身体に疲れがたまり、猛烈な眠気に襲われたのだ。とにかく眠い。このままでは、事故を起こしかねない。
そこで、バイクを道路の路肩に止め、すこし歩道に横になることにした。ヘルメットをかぶったまま、倒れ込むようにアスファルトの歩道に倒れ込む。もうろうとする意識のなかで、頭上近くを歩行者が通り過ぎ、自転車が通り過ぎる。
しばらくして、はっと気がつき、腕時計をみると、なんと30分も経過していた。ヘルメットをかぶったまま、歩道で30分仰向けで寝ていたようだ。どう考えても不審者だ(笑)でも、そうせざるをえないほど眠たかったのだ。

 それ以降は、眠気もおさまり、一気に札幌市内までバイクを走らせた。

そして、たどり着いたのが「少年よ、大志を抱け!」でおなじみ、クラーク博士像のある羊ヶ丘展望台

小樽から始まり、ようやく札幌まで戻ってまいりました!もう少年ではありません(当時20歳)が、大志を抱きます、クラーク先生!

クラーク博士への報告も終わり、気がつくとひどく空腹であることに気づく。札幌まできたら、ジンギスカンでしょ!ということで、羊ヶ丘のジンギスカン食べ放題の店を探したが、3000円オーバーで少しお高め。そこで、市内に探しにいくか、と思いバイクを走らせるとすぐに、ジンギスカン食べ放題1980円の文字が!これなら、お得〜ということで、早速お店にin。

店内は広大な飲食スペースが広がっており、どうやら団体客向けの店なのかもしれない。そこに、客は自分とあと一組の家族のみ。ほぼ貸し切りの店内で、ラム肉をとりあえず3人前頼んでみた。ジンギスカンというと、昔マトン肉をビアホールのようなところで食べた記憶しかなくて、そのとき牛肉と比べて臭みがありあまりおいしいという印象はなかった。
ところが、運ばれてきたラム肉をジンギスカン特有の鍋で焼き、一口食べてみると、、うまい、なんじゃこりゃ。
思わずうなるくらい、柔らかく、かつ臭みもなく、脂っこくもない。あまりの美味しさにあっという間に3人前を平らげ、すぐに3人前ラム肉を追加した。

それまで、かなり空腹であり、しかも久しぶりのお肉ということで、食欲が止まらず、その後も2回ほどお肉を追加したように思う。これで1980円は格安だ。いや、札幌ではこれが普通なのか?

お腹いっぱい、幸せいっぱいになったところで、お会計をすると、男性の若い店員に、あのバイクはお客さんのものですか?
ときかれ「そうですよ」と答えると、「一人旅ですか?」ときかれたので、「ええ、小樽から知床まで言って札幌まで帰ってきました」といったら、「いいっすね。ぼくもそんな旅してみたいです」といわれ、出身地をきくと「釧路」だという。
 そっか、北海道出身だと北海道を一周旅行する機会なんてあまりないんだろうなあと思いながら、その店を後にした。

その後、札幌のビジネスホテルにチェックインして長い一日を終えた。

 

 ’05北海道バイク旅行 8日目 9月6日 その1

昨日は幻想的な夕暮れを目にし、ユースホステルのマスター夫妻と競馬の話に花を咲かせた後、12時くらいに床についた。今日も7時に起きる。スケジュールが押してきている以上、ゆっくりしている暇はないのだ。さて、本日は、旅の目的でもあるサラブレッド牧場巡りだ。そうそうに身支度を整え、ユースホステルの主人に礼を言ったあと、再び愛車にまたがり、サラブレッド銀座を目指した。

サラブレッド銀座とは、サラブレッドの生産、育成牧場が集まった地域のことで、かつて活躍した名馬たちが現役引退後もたびたび見学者に公開されたりもしている。

始めに訪れたのが、ここラフィアンターフクラブだ。
ここでのお目当ては、ステイゴールドだ。

現役時はG1で2、3着に入ることが多くて、いつも善戦するもどこか勝ちきれないところがあって、
そんなところが逆にファンの心をつかみ人気馬となった。現役時代から、気性がおちついていて性格がいい馬として知られていたけど、それは、現役を引退した今も変わらない。こちらが近づくと、えさがもらえると思って近づいてくる。かわいい。

後日談:ステイゴールド自身は、G1の勝鞍にめぐまれなかったが、その子供たち(オルフェーブル、ゴールドシップドリームジャーニーetc)が大活躍をみせることになる。

ラフィアンターフクラブは、育成牧場も兼ねていて、下の写真のような施設で入厩前の競争馬のトレーニングも行っている。



さて、お次は、ナリタブライアンのお墓参りにいく。
ナリタブライアンについては、僕がまだ競馬に興味をもつまえに活躍をしたこれまた名馬で、競馬を普段観ない人も名前くらいは知っているかもしれない。ちょうど、ここを訪れたときは、後に三冠馬となるディープインパクトがダービーを制した直後であり、東京競馬場の長い直線で一気に他馬を抜き去るレース運びが亡くなったナリタブライアンを思い起こさせた。それもあってか、ここのお墓の来客ノートには、ディープインパクトに関する書き込みがちらほらみられた。



 ディープインパクトがコンパクトなスポーツカーであれば、ナリタブライアンは重厚なベンツにたとえられる。ディープのような軽やかさこそないが、三冠レースのナリタブライアンは「強い」の一言でしか表現できない圧倒的な存在だったのだ。
 ナリタブライアンについては、また稿をあらためて、記事にしてみたい。

さて、ナリタブライアンに感謝を告げた後、次は札幌にむかう。